2020-01-24 第201回国会 参議院 本会議 第3号
昨年六月には、安倍総理は、福田赳夫総理以来四十一年ぶりにイランを訪問し、ハメネイ最高指導者、ローハニ大統領と会談しました。
昨年六月には、安倍総理は、福田赳夫総理以来四十一年ぶりにイランを訪問し、ハメネイ最高指導者、ローハニ大統領と会談しました。
福田赳夫総理以来、イラン革命後は初めての日本の総理の訪問ということでありました。また、先日の国連総会の際にはロウハニ大統領と首脳会談を行った。その際に、イランは核兵器を含む全ての大量破壊兵器に反対する、こうした明確な発言を引き出されました。一方、米国トランプ大統領とも緊密に意見交換を繰り返しておられる。 総理はこうした努力をされておられるわけですが、米国とイランの関係。
たまたま、昨年の十二月でございますが、私、福田康夫元総理、中国の会議に参加された際に、日中四十五周年あるいは四十年の関係で周恩来元首相のお嬢さんもいらっしゃいましたけれども、福田康夫元総理が福田赳夫総理の福田ドクトリンについておっしゃいました。
これは、外交というのは、かつて福田赳夫総理が表現をしておられたんですが、これは水の上を泳ぐアヒルのようなものだと。上はすうっと行っているんですけれども、下で水かきでかいているんですね、水かきの部分はなかなか見えないわけでございますが。我々は、大統領選挙が行われている際には、当然、この選挙戦に影響を与える、介入するという考えは毛頭ないと、そこで注意深く対応していたわけでございます。
これは外務省のホームページから引いてきましたけれども、日中平和友好条約交渉時の、一九七八年十月二十五日の福田赳夫総理との首脳会談の発言です。「われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、われわれよりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう。この問題は大局から見ることが必要だ。」と話していました。
その中国のパイプライン建設の融資を決めた当時の輸銀総裁の保田さんだったと聞いておりますが、福田康夫元総理と保田元輸銀総裁は、福田赳夫総理のときの首相秘書官同士で仲がよろしかったんだそうでありますね。
福田赳夫総理はいかなる権限を用いてされたと思いますか。「行政権は、内閣に属する。」という憲法の規定によってやった。超法律的ではあっても、超法規的ではなかった。 そこで、「行政権は、内閣に属する。」という権限は、安倍総理、今、内閣の首班として持っておられる。もう一つ持っておられる。自衛隊の最高指揮監督権を有しておる。
しかしながら、本当の話は、これは福田赳夫総理のときから、日本のアニメ、漫画芸術、こういうものは非常に世界の中でレベルが高い、こういうものの活動の中心点をつくらなきゃいけないと、こういうことになりまして、多くの漫画家、コピーライター等々が運動を起こしまして、非常に精密な検討をして計画したものでございます。
この福田総理というのが一体だれかということなんですが、これは福田赳夫総理。一九七七年、今から三十二年前の日経新聞の記事なんですね。これは総理にも申し上げたいし、自民党の皆さんに申し上げたいんですが、このときからわたりは問題になっていて、三十年以上にわたってこの問題を放置してきた政府・自民党というのは、一体これは何なんだということをまず指摘したいというふうに思います。
それで、昔、ダッカ事件というのがありまして、時は福田赳夫総理でしたけれども、犯人の要求が、捕らわれている仲間の釈放とか身代金とか、それからいろんな引換えに、乗客の命と引換えに要求してきたんですけれども、それで時の政府は、有名なせりふですけれども、人の命は地球より重しということで、一人の命であっても地球より重いんだという、まあ名せりふといえば大変な名せりふなんですけれども、という中でほぼ取引に応じた状況
福田康夫前総理のお父様の福田赳夫総理は、ロンドン・サミットで日本機関車論というのを打ち出して景気をぐんぐん引っ張る役割をやった。 しかし、それで財政赤字がふえた。次の大平さんは、財政再建で一般消費税を打ち出した。しかし、それが五十四年の十月七日の選挙、麻生総理が初当選したときですけれども、負けた。その次の鈴木善幸内閣は、増税なき財政再建。そして、日米関係がちょっとこじれた。
センターは、一九七七年、当時の福田赳夫総理とASEAN首脳が発出した共同宣言を踏まえまして、一九八一年に設立をされました。過去三十年近く、貿易、投資、観光面でASEANとの協力を具体的に促進する機関として存在し、我が国とASEANの協力関係強化に貢献をするという目的であります。
このセンターは、一九七七年に当時の福田赳夫総理とASEAN首脳とが発出した共同声明を踏まえ、設立されました。このセンターは、過去三十年近く、貿易、投資、観光面でASEANとの協力を具体的に促進する機関として活動し、我が国とASEANの協力関係強化に大いに貢献しているところでございます。
福田赳夫総理のときには大変立派な目的で設立をされましたが、目的が立派でなくて設立されるものというのは余りありません。要するに、つくったものをいいかげんにして、だれかがそれを食い物にしている、その結果こういうことになるわけで、それは、だれも中身を見ていなければ、だれもチェックできるような体制になっていなければ、そうなるわけであります。
○津田弥太郎君 総理の偉大なるお父様福田赳夫総理は、昭和五十二年の予算審議の際、不十分ではあるものの、野党各党の要求をのんで三千億円の特別減税の上乗せを自ら内閣修正をされているわけでありまして、今おっしゃった、野党から云々というお話がございますが、私どもはしっかり対案を出しております。それに対してしっかり返していただきたいと思いますが、もう一度いかがですか。
かつて福田赳夫総理は、アジアとの関係の中において福田ドクトリンというものを打ち出して、友好的な関係を長期にわたって維持していくためには日本外交はこの方針でいくと三原則を打ち出したのでありますが、日本の環境行政にあって、鴨下ドクトリンというようなものをこの三原則をもとに打ち出されることを考えてみられてはいかがだろうか、こんな御提案を申し上げたいと思うのでございますが、大臣、いかがでございましょうか。
一九七七年八月、当時の福田赳夫総理がフィリピンのマニラにおいて我が国の東南アジア政策に関する有名なスピーチをされておられます。
かつて福田総理のお父様、福田赳夫総理が、もう三十年以上も前になりますね、総理になられたときに、派閥解消を唱えられました。そして、派閥の事務所ももうやめようということを言われたんですね、覚えていますが。しかし、なかなか派閥はなくならず、その後も続きました。 しかし、実際問題として、今話をしましたように、派閥の実態は変わってきているんです。
かつ、加えて、教育委員会が本当にきちんと働いていただいているかどうかという点についても、それぞれの皆さんにそれぞれの御意見があると思うんですが、例えば、これは昭和五十二年、今から二十九年前でございますが、当時の福田赳夫総理大臣が当時新自由クラブの西岡武夫議員の質問に答えて、「教育委員会が形骸化している、こういう面を指摘しておりますが、そんな感じがしないわけでもありません」と、総理大臣答弁も二十九年前
もう大分前になりますけれども、福田赳夫総理がフィリピンで有名な演説をされました。これはハート・ツー・ハート、心と心のつき合いだと。お金というのは、あるときはお金のある方にみんな向いていきますが、お金が乏しくなれば一遍にその関係が薄くなってしまうというのではいけない。
この全方位外交というのはかつて福田赳夫総理がおっしゃった言葉でありますけれども。では、軍隊を持たないで日本が守れるのかということですね。私はそういう御質問があろうかとも思って、自分でまとめてきたものをちょっと御紹介いたします。 全方位外交を展開するためには、私が政治家になったつもりで申し上げます、外務省を充実強化します。
何でこういう議論が起こったかといえば、もう先生御案内のとおりで、昭和五十年代の前半に、福田赳夫総理大臣、三原朝雄防衛庁長官のもとで研究が始まった。ところが、一分類、二分類だと思っていたところへ、いや、それだけでは足りないんだと。